About Masamoto 正本について
History
正本の歩み
year
1846
1846
初代正本 松沢巳之助
弘化2年生 明治24年没
弟子:平野吉造・鈴木増民・松本源二郎 他2名
- 江戸末期埼玉県南埼玉郡向畑村にて刃物製造業を営む。
- 明治17年上京し浅草花川戸に工場を開設。
year
1858
1858
二代正本 平野吉造
安政5年生 大正5年没
長男:佐吉
次男:惣吉(「浅草仲見世 正本」を開業独立。現在の「浅草 かね惣」様に至る。)
三男:平吉(「熱海 正本」を開業独立。現在は廃業。) ※他2人の子女
- 明治7年17歳の時に松沢巳之助に入門、弟子となる。
- 明治14年結婚して独立し、「正元」と号する。その後字格が良いとのことで「正本」と改める。
- 明治15年頃その後出生地の埼玉県大沢(現在の埼玉県越谷市)に工場を開く。
- 明治23年本所区中ノ郷原庭町(現在の東京都墨田区)に工場を開設する。
- 明治24年巳之助師匠に後継者無き後、吉造が師匠の事業を継承し、
報恩の意味で巳之助を初代正本とし、自らを二代正本と名乗る。
year
1883
1883
三代正本 平野佐吉
明治16年生 昭和29年没
長男:正吉 次男:秀吉(現在の弊社「築地正本」に至る。)
※他3人の子息、4人の子女
- 明治末期日露戦争に出征をするが、帰還する。その後の努力により、この頃業績大いに進展する。
- 昭和6年築地に正本「魚がし店」(第一直売所)を開業する。妻ますと、次男秀吉とで営業に従事した。
- 昭和11年中央卸売市場内に第二直売所を開店する。
year
1903
1903
四代正本 平野正吉
- 明治36年生昭和45年没 秀吉の兄。
- 昭和30年代東京都墨田区で正本の営業を続ける。
正吉次男:平野守助が承継し、現在は六代目となる。
year
1907
1907
初代築地正本 平野秀吉
明治40年生 平成2年没
- 大正後期父佐吉に弟子入りし、刃物鍛冶・研ぎの技術の修行をする。
- 昭和6年正本が築地に直売所である「魚がし店」を開業する事に伴い、築地での営業に従事するようになる。
- 昭和11年正本が中央卸売市場内に第二直売所を開店する事に伴いこちらの営業も管轄する。
- 昭和21年太平洋戦争に従軍するため、数年来業務から離れていたが、漸く復帰する。
奥で眼鏡をかけているのが秀吉。昭和25年前後。
昭和32年 築地場外波除通り(写真提供:中央区立京橋図書館)
昭和37年 築地市場内(写真提供:中央区立京橋図書館)
year
1945
1945
二代築地正本 平野操
昭和20年生
- 昭和35年15歳で築地正本に入社。以後修行に従事する。
- 昭和55年頃初代秀吉に代わり、実務上の責任者となる。
- 昭和63年この頃より毎年アメリカでの御客様へのアフターサービス(包丁修理研ぎ)のため
ニューヨーク、 ロサンゼルス、サンフランシスコ、ハワイへ出張をするようになる。 - 平成2年秀吉の死去に伴い、二代社長に就任する。
- 平成10年「料理の鉄人」にて二代和の鉄人 中村孝明氏が引退試合に臨む際の包丁の研ぎを実演する。
- 平成14年フジテレビ系列 「アナザーヒーロー」にて道場六三郎氏を陰で支える人物として紹介される。
- 平成20年有限会社 築地正本から株式会社 築地正本に法人格の変更をする。
- 平成30年東京都中央卸売市場の築地から豊洲への移転に伴い、市場内店舗も共に移転する。
建替え前の社屋で昭和40年代中頃
昭和52年頃 新大橋通り(写真提供:中央区立京橋図書館)